「再考現学 / Re-Modernologio」phase2 : 観察術と記譜法

2011年10月23日(日)~12月18日(日) 10:00 - 18:00/無料

パル・ペーター

PAL Peter

《アナモルフォーシス3 歩ける彫刻》

自然に介在する:パル・ペーターのパースペクティヴの模索

近藤由紀

パル・ペーターは近年、いわゆる自然とかかわるやり方で制作される作品によるネイチャーアート展やランドアート展に数多く参加しているアーティストであり、本国ルーマニアの文化遺産である教会壁画の修復に携わる修復家でもある。そのためであろうか、彼の作品には歴史への関わりと周囲の自然への関わりが強くみられる。

2005年国際芸術センター青森の秋のアーティスト・イン・レジデンスに参加したパル・ペーターは、作品≪アナモルフォーシス3 歩ける彫刻≫を制作した。この作品はタイトル通り、アナモルフォーシスの技法が用いられた作品である。アナモルフォーシスとはわざと歪んだ画像を描き、その上に円筒など曲面のある鏡面を置いて画像を反映させたり、斜めや水平などといった通常とは異なるポイントから画像を眺めさせたりすることで正常な画像を表すという一種のだまし絵の技法である。愉快な遊び心の産物として、あるいはおおっぴらには批判できない体制や社会に対する風刺画を描く技法として古くから親しまれてきた。パルは滞在地である青森県内から採集した自然石を地面に石畳状に埋め込み、野外作品としてこれを制作した。一見すると色の違う石が敷き詰められた円形の石畳の広場のようであるが、あるポイントにくると、中央に設置された鏡面状の円筒の表面に人の顔が結像するように作られている。この顔は、アステカ時代の仮面がモデルとなっており、そこには今、自分が目にしている現象/像のエフェメラルな様態とアステカ時代の仮面に託された確固たるものとして確立された文化的歴史や伝統が対比されている。そこには文化遺産の修復という歴史的遺物と日々対峙しながら自身の現在の表現を模索するパルの在り方が重なっているのかもしれない。通常、アーティスト・イン・レジデンス展のために制作された作品は、展覧会終了後に撤収されるが、パルのこの作品は、ACACの野外彫刻として残されることになった。

それから約6年が経過した。一時的な展示のために制作された作品であったことや、石の間に生育する草やその間から顔を出す土竜といった森の動植物の活発な活動により、敷き詰められた石は少しずつ移動し、円筒に映る画像に歪みを生じるようになっていった。そこでパル・ペーターは、この作品の再制作あるいは修復を主目的とした滞在制作を行うために再び招聘されることとなった。それと同時にパルの現在の活動を紹介するために「再考現学phase2 観察術と記譜法」への参加を依頼、パルはこれを受け、≪アナモルフォーシス3≫の再制作/修復と同時に「再考現学」というキーワードをパル・ペーターなりに読む解くことでアプローチした滞在制作作品を展覧会へ出品することとなった。したがってパル自身が述べているように[1]、今回の「再考現学」というプロジェクトへの関わり方およびこのキーワードへのアプローチの仕方は他の日本人作家たちのそれとは一線を画していたといえるだろう。そもそも彼の作品は、都市生活者の視点や、日常的な物や事や現象の収集から作品が制作されるというよりは、周囲の環境や歴史、自然との関わりの中で生み出されてきたものが多いのだから。

こうしたことからパルは副題である「観察術と記譜法」から「モノをみる」ということに焦点を定めた。パルが今回新作として発表した作品≪もう一つの場所≫[2]は、別の仕方で風景を眺めるための装置である。木枠の中央に水で満たされた塩化ビニル板とビニルシートによって作られた丸い窓は凸型のレンズのようになっており、それが周囲を松林でかこまれた水のテラスの中央に設置されている。このレンズ部分に映し出されるのは、凸レンズによって上下が反転した風景である。だがほとんど鏡面のような浅く澄んだ池と青く澄み渡った空が松林を挟んでそこに映し出される様は、周囲の木々が池の上で反転し、更にそれがレンズ状で反転するために、しばしばどちらが上か下かわからなくなる。いずれにせよそれは、周囲の風景のそのままの反映でありながら、フレームに捕らえられることで歪められ、周囲の風景から分断された風景の断片である。この歪んだ風景を中央部にとらえた作品≪もう一つの場所≫と、歪んだ像が曲がった鏡面によって「正常な」(と見る者がみなす)像を円筒に反映させる≪アナモルフォーシス3≫は、対の作品として提示されている。パルはこれについて、確かだと思っていた現実が儚く歪むことを暗示するとともに、視点を変えることで固定された概念や思想から解き放たれることの象徴でもあるともいう。そこにはパルのエフェメラルな現在とソリッドな歴史についての対比および我々の認識についての考察をみてとれる。そして同時にそこには物の見方、イメージとしての捉え方についての関心もみることができるだろう。

展覧会の出品作は両者ともに「視点によって画像が歪む」という共通点をもっているが、パルはこうした錯覚や歪像を利用した作品をこれまでいくつも制作している。≪水域の回転≫(2007年)は緑豊かな広大な大地に鎌をいれてそこに図像を描いたいわゆるランドアートである。ここでパルは目の前にあった丘の上の森林伐採の痕を使い、ある地点から直線状に草を刈ることで三次元の大地に方形を描いている。この図形はある一点からでしかみえず、広大な大地がその舞台になっているだけに、おそらく見る者はその意図を知らなければその点を探すことは困難だろう。しかし一方でこの図を見つけると現実の地形が図によって惑わされ、異なる高低で地形を認識してしまうようになっている。そこには自然に僅かに手を加えることで、もともとある自然の姿をつかの間変容させることが目論まれている。

展覧会がオープンしてからも滞在制作を続けていたパルが次に制作、発表したのは≪刺身 アルチンボルド≫という映像作品であった。それはその名の通り16世紀ルネサンス後期マニエリスムの奇才アルチンボルドがしばしば描いた肖像画――魚介、花、果物などを細密に描きながらそれらだけで人物像を描くシリーズ作品を――アプロプリエートし、実際の魚で人物像をくみ上げた映像作品である。パルはこれを「(滞在制作した)この場所に介在した作品」[3]と述べているが、それは最後にはそれらを捌いて食すところから青森の食文化をそこに反映させ、何かこの場所の「日常」と作品を結びつけようとした試みであるということだろう。

パルはこうした古いいわば絵画の「名作」を焼き直し、現実に表す作品をしばしば制作している。こうした過去の巨匠の作品の引用はパルにとってはアステカの仮面の引用と同じにとらえられている。それは古い作品との対話であり、人類が発明した芸術史上の遺産である遠近法やその画面構造を現実に置き換えることで現在の芸術的視点を考えていこうとする試みであろう。そこに常に古い作品をなぞり、修復してきたパル・ペーターの修復家としての背景を重ねない訳にはいかない。

ArtとNatureは対立する言語である。人類は「技」をもつことで自然に手を加え、自らの「生」を獲得してきた。ヨーロッパの芸術において例えばイタリアやフランスのアカデミーの中で長きに渡って風景画が単に自然を描くだけでは成立せず、いつまでもヒエラルキーの低い場所におかれていたことからもその対立は自明のものであっただろう。「自然はそれ自体の形がある。これは彫刻が自然の中に存在しているシステムのようである。自然の形は彫刻的であり、彫刻的なものは自然の構築物のようなものである」[4]と考えるパルは、自然と芸術を対立するものとしてとらえている訳ではないが、それでもやはり生の自然へごく日常的な方法で介在/介入することによってある形を統べる特殊な法則というある種の技を探ろうとしているといえるだろう。ごくわずかな道具によって作られ人と馬の力によって稼働するコンクリート製造機としての作品≪グレートミキサー≫(制作中)(2010 -11年)は、最小限の力を加えて自然に介入/介在するというパルの制作の手法を動的に作品化しているものといえる。そこには自然と人間を分け、対立するものとする価値観ではなく、その大地に生きる人間の原始的な創意の歴史を彷彿させる。

[1] 2011年12月国際芸術センター青森定期刊行誌『AC2』13号(2012年3月刊行予定)のためのインタビューより。

[2] 展覧会会期中は≪レンズ≫と題されたが、その後≪もう一つの場所(Another place)≫と改変されたため、本文ではこちらを使用することとする。

[3] 同上。

[4] 2011年11月9日青森公立大学「芸術の創造」のクラスにおけるパルのレクチャーより。

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《もう1つの場所》

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《もう1つの場所》

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《もう1つの場所》

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