「再考現学 / Re-Modernologio」phase2 : 観察術と記譜法

2011年10月23日(日)~12月18日(日) 10:00 - 18:00/無料

丹羽良徳

NIWA Yoshinori

《八甲田山の頂上に海底で拾った石を積む》

突入する身体 〜滑稽な振舞いが社会に風穴をあける

服部浩之

少し猫背でひょろりとした身体にモミアゲまでつながる豊かな髭を蓄え、赤いベレー帽とリュックを身につけてふらふら歩く丹羽良徳の姿はよく目にとまる。その風貌にはパフォーマー独特のなんとなく人の目を惹く不思議な魅力があるのだ。

 身ひとつで様々な場所に飛び込み、特別な能力がなくてもできるけれども決して誰もやらないようなことを淡々とやってのけるその活動の原点は、高校時代まで遡る。丹羽は高校時代に同級生と組んでいたノイズバンドでチェコのレーベルからCDをリリースしている。高校生でノイズに行き着くこと自体早熟感が漂うが、当時から彼の姿勢はわりと一貫している。楽器が弾けなかったことから至ったノイズの世界だそうだが、彼が興味を持ちのめり込んだのは、ノイズというそもそも活動人口が少ないマイナーな分野では世界中の類似の嗜好を持つ人たちが密接につながっており、深淵なアンダーグラウンドなシーンが形成されているという状況だった。そういうシーンは、フルクサス[i]などの流れを汲む前衛的なファインアートにも深く関わっていることを知り、そこからファインアートをやろうと決意したと言う。同時に彼の叔父が60年代に名古屋を中心に各地で裸体の集団でのパフォーマンスを繰り広げていた〈ゼロ次元〉[ii]に関わっていたことから、その話を聞き、なんだか分からないがすごいことが繰り広げられている世界の存在を別の方向からも知るようになったと言う。その流れを理解すると、丹羽のパフォーマンスに60~70年代を彷彿とさせるハプニングやイヴェント的な要素が充満しているのが、自然に受け入れられるだろう。

 彼のパフォーマンスは基本的にビデオによるドキュメントを中心に提示される。通常パフォーマンスというと公衆の面前で繰り広げられるものが想起されるが、丹羽のそれは人知れず彼の頼りない身体とビデオカメラのみで推進されることが多い。街中の水たまりの水を口で吸い上げて、離れた場所の別の水たまりに口移しで泥水を運んだり、東京の自宅の可燃ゴミの入った袋を、サンフランシスコまで持って行ってその街のゴミ捨て場に捨てたり、あるいはあるキオスクで購入した雑誌を別のキオスクに持っていきそこで再びそれを購入するということを何度も繰り返したりする。作品では彼が淡々とその行為を実行する様子をビデオに収めて、その過程と顛末を映像として公開するのだ。水を吸って吐いたり、ゴミを捨てたり、ものを購入したりとどれも特別な技術や能力は必要としないし、その行為自体は誰でも日常的に行っていることだ。ただ、彼はそれを特殊な状況下で実施するのだ。普通に考えたらなぜそんなことをするのか理解に苦しむような状況ばかりだろう。丹羽はまさに、この私たちが理解に苦しむという点に着目している。例えば、自宅のゴミは家のそばの所定のゴミ捨て場に捨てるのが当たり前だ。なんの疑いもなく私たちは、燃えるゴミや燃えないゴミなどに分別し、決められた日に決められた場所に捨てる。そして最終的にそのゴミがどういうかたち処分されるかはほとんど意識することなく生きている。とても合理的でシステマチックな現在の世界では、深く考えなくてもやり過ごせることは非常に多い。丹羽が自宅のゴミをサンフランシスコまで捨てにいくことは、そういう社会の当たり前のシステムに疑問を呈するアクションでもあるのだ。ゴミはそれをゴミ捨て場に捨てるまでは、その人の正統な所有物である。丹羽がゴミ袋に入れて持ち運ぶものは彼の所有物で、危険物とされなければ税関では止められず、海外まで持ち出せてしまう。そしてそれはサンフランシスコのゴミ処理場に捨てられた。その瞬間にこれはゴミになる。そもそもこの世界のどこで生産されたかも不明な東京の丹羽のもとに集まったこれらのゴミをサンフランシスコで捨てることは問題のある行為なのだろうか?そこに明確な解はない。ある視点からは問題行動とされるかもしれないし、別の視点からは単なる戯れととられるかもしれない。

 また、《自分の所有物をまちで購入する》というタイトルが付された作品は、彼があるキオスクで買った雑誌を別のキオスクや書店に持って行き、それをもう一度購入する様子捉えたものだ。これは果たして犯罪なのだろうか?万引きは明確な犯罪として規定されているが、おそらくこういう多重購入に言及する法などないだろう。当たり前だが、丹羽自身はそれにより利益を得ることはない。それどころか金銭的には不利益さえある。バーコードで管理された商品は、その取り扱いがある店ならばどこでも何度でも購入できてしまうようだ。この行為により店側は収支の計算は合わないが、貨幣の出入りで考えたら余剰の利益を得ることになる。これは犯罪なのだろうか。現在の資本主義社会における利益の追求とは矛盾するこの行為の善悪を判断するルールは存在しないだろう。このように丹羽は社会がつくりだしたシステムを否定も肯定もせず、ただそのありえないアクションによって疑問を投げかけるのだ。今の社会において善悪の判定が不可能なギリギリの行為を実践し、緊張の一瞬を生むことで日常のなんでもない状況から飛躍しようとするのだ。

 丹羽の行為はそのタイトルに多くを規定される。前述した《自宅のゴミをサンフランシスコのゴミ捨て場に捨てにいく》、《自分の所有物をまちで購入する》などを参照すると、「AをBの状態にする」という手法でタイトルが付されている。彼はタイトル通りの行為を実践する過程を作品とするため、タイトルは非常に重要だ。「A」と「B」に通常は絶対に併存することがありえない事象を代入しぶつけることで、私達がおよそ気付きもしない自動的につくられた不思議な社会のシステムを浮き立たせるのだ。

 青森では《八甲田山の頂上に海底で拾った石を積む》という作品を約3ヶ月かけて制作した。タイトル通り、陸奥湾で拾った石を八甲田山の頂上まで運び、それを積んで山頂を少しだけ高くしようとする過程を記録したものだ。丹羽はアシスタントとともに約1週間かけて、10月の冷たい海にウェットスーツを着て潜り、永い年月をかけて丸くなった石を何十キロも拾い集めてリュックサックやドサ袋に入れ、山の頂上まで運んでいき、その姿をビデオで捉える。石を運んではそれを積み上げて60センチ程度の小さな山を山頂に築く。そしてその石をまた持ち帰る。その繰り返しだ。八甲田山一帯は国立公園として国により管理されているため、原則持ち込んだものは全て持ち帰らなければならない。そのため、丹羽は毎回持てる限りの石を持っては八甲田山に登り、小さな山をつくって、またそれを持ち帰るのだ。この行為からなにが見えてくるのだろう。もちろん行為そのものには大した意味はない。山ははるか昔は単なる山以外のなにものでもなかったはずだが、国立公園として保護されたことにより国の所有物となり、国が規定した公園管理のルールが適用される。八甲田山の自然や原生植物を護るなどという理由により外から持ち込んだものは全て持ち帰らなければならない。丹羽が運んだ石は、もしかしたらはるか太古にはこの山頂を形成していて、それが海の底に転がったものかもしれない。しかし現在の管理区域の境界外から持ち込んだものなので、これをそこに留めることはできない。この所有のルールに彼は「石を積む」という無言の行為により疑問を投じるのだ。丹羽はそのルールを否定も肯定もせず、彼が興味を持つ社会が気付かぬうちにつくりだしてしまう暗黙の法のようなものを鋭い観察眼で発見し、作品化を通じて他者にもそれを眼に見えるかたちにするのだ。

 また、彼の行為の奥にはどこかで笑いを誘われるユーモアがある。人知れず実践する行為の過程で彼は様々な人に出会う。海で石を拾っているときに、自然の偉大さや、破壊された自然は人間が絶滅するまで戻らないというような主張をする老人があらわれて、丹羽に語ったり、ロープウェー乗り場の職員が大きな荷物をもつ丹羽を怪訝に思い牽制はするが制止はしなかったりと、その過程には不思議な対話がいくつもある。丹羽はただ石を運んでいるだけなのだが、それを見る人になんだか構わずにはいられなくさせるものが彼にはあるのだ。これらの会話からもやはり所有にまつわる様々な問題が透けて見えてくる。ロープウェー乗り場の人は、国立公園としてのルールを悪意などなく彼に伝える。普段は説明する必要もないような暗黙のルールを口にする様子を眺めていると、社会がつくりだした「所有」を規定するものや「公共」とされる事柄に関する様々な矛盾や疑問が見えてくる。それによって私達は無意識に生きている日々を今一度再考するよう自然と促されたりする。

 とはいえ、やはり丹羽の活動の最も大きな魅力は彼自身の存在にあるだろう。丹羽はその愛嬌ある独特な風貌や振舞いにより、社会のシステムや公共性の問題に言及するタイプの作品が陥りがちなシリアスだけれどユーモアがないという状態をひょいとすり抜けてしまう。深刻で皮肉な状況にも、彼の身体をもってダイレクトに貫入することで、小さな笑いを誘うのだ。そしてその先には、私達の消費を土台とした生活への根源的な「違和感」の提示と、それとは異なった生活像のささやかな模索への兆しが見えている。

 


[i] 1961年にジョージ・マチューナスがニューヨークで開催した講演をきっかけに始まった芸術運動。美術、音楽、詩、パフォーマンスなど様々な領域、様々な国のアーティストが流動的に参加し、「イベント」と呼ばれる日常的な行為を主な表現手段とした。

[ii] 1950年代後半から70年にかけて活動したパフォーマンス(ハプニング)集団。主宰は加藤好弘で当時日本各地に300人以上のメンバーがいたとされる。人間の行為を無為=ゼロに導くことを主張し、「儀式」と称するパフォーマンスを街頭で繰り広げた。

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《八甲田山の頂上に海底で拾った石を積む》部分

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《八甲田山の頂上に海底で拾った石を積む》部分

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《ルーマニアで社会主義者を胴上げする》

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《自分の所有物を街で購入する》