マテリアルとメカニズム

2014年10月25日(土)~12月14日(日)

ALIMO

ALIMO

ALIMO《<星空と犬の散歩>に基づく音楽のためのアニメーション》2014年
photo: 山本糾

アニメーションの構造的特性を探求する「あそび」の精神

服部浩之

ALIMOのアニメーション作品は、絵画を描いていた彼のバックグランドに密接に関わるものだ。その作品群には、大きく分けてふたつの傾向があり、ひとつが物語に沿って展開する長編作品、もう一方が明確な物語に力点を置くのではなくアニメーションの構造的特性を追求するような実験的な短編作品だ。ALIMOは前者を「メルヘン」、そして後者を「あそび」というカテゴリーに分類している(1)。どちらも、絵画の構造と構成の本質を探求するもので、その最適な表現方法としてアニメーションというメディアが選択されている。

「メルヘン」に分類される長編の物語作品は通常1-2年かけて制作されるもので、限られた時間で制作し発表しなければならないアーティスト・イン・レジデンンスと相性のよいものではない。また長編制作中にも様々なアイディアが浮かんでくることがあり、それを短期で集中して実現すべく、今回のレジデンスでは3ヶ月という限られた時間において、その短い時間だからこそ成立する「あそび」の作品が制作された。芸術作品の制作における「あそび」は、ALIMOも言及しているとおりヨハン・ホイジンガが提唱した「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」を想起させる(2)。ホイジンガは、「人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきたのだ」(3)という。ALIMOが影響を受けたものとしてあげるダダやシュルレアリスム(4)はまさにホイジンガと同時代において、その創造活動を通じて彼のこのことばを実証するような芸術実践だったと言えるだろう。

ALIMOの「あそび」の代表作《開かれた遊び、忘れる眼》は、シュルレアリスムによる「甘美な死骸」をその実験的な制作の方法論の核に据えた短編アニメーションだ。「甘美な死骸」は、アンドレ・ブルトンらシュルレアリストたちがはじめた偶然の併置を楽しむ遊戯で、一枚の紙を人数分に分けて、他の人の文章や絵を見ないように各人が描き記し、それを最終的につなげてひとつにするものだ。この遊戯により生まれた「甘美な・死骸が・新しい・葡萄酒を・飲むだろう」という文章から、この遊び後に「甘美な死骸」と名付けられた。《開かれた遊び、忘れる眼》は、ALIMOが日々ドローイングを描くなかで、何日か経つと以前描いたものは忘れてしまうことがあるあるという経験にも依拠する。黒い支持体のうえに描かれた日々のドローイングをすべて上下に4分割し、各パーツがスライドし異なった部分同士が出会いひとつのアニメーションが出来上がっていくものだ。シュルレアリストたちの遊びを適用するように、彼自身が異なったタイミングで描いた絵画をすべて分割し、その分割されたパーツをスライドさせて合体させることで、画面上で自由に出会わせる。解体された静止画をつなぎ合わせ映像化することで時間軸を与え、自身の描画した絵画をアニメーションという異なった表現媒体へと開いていく。アニメーションとは、通常一人の描き手が物語に沿って机上でひたすら連続する絵を描き成立させるものだ。本作では、一人の描き手という点は保持しつつも、シュルレアリストの方法を取り入れることで物語に沿った連続する絵を描くことをやめ、バラバラに描いたものの偶然の出会いをひとつの時間軸に並べるという、アニメーションにおける新たな構造実験を試みた。

この作品の延長線上に、今回青森で制作した《〈星空と犬の散歩〉に基づく音楽のためのアニメーション》が存在する。この作品はもちろん「あそび」に分類されるものだ。《開かれた遊び、忘れる眼》で試みられた偶然の出会いの創出や、アニメーションの構造的特性の探求は継続しつつも、さらにふたつの新しい実験に取り組んでいる。まず一番大きな試みは、今回の作品ではALIMO自身が絵画を描くことをやめ、描画行為を他者に委ねたことだ。もうひとつは、アニメーション作品は通常劇場空間で映像のみが投影されるものだが、本作ではアニメーションの投影される仕組み自体を明示するために16mmフィルムの上映機も展示を構成する物質として展示空間に設置し、映像というより物質としてのインスタレーションに取り組んだことだ。これはレジデンス期間という限られた時間と、劇場ではない特徴的なギャラリー空間という前提条件による制約による点も大きいが、ALIMOはこのような通常のアニメーションには決して有利とはいえない条件と積極的に戯れるように、まさに「あそび」をその制作過程においても実践したのだ。

アニメーションは長い時間をかけて大量の絵を机上で描くことが基本だが、本作のための画像はワークショップによりたった数時間で、しかもALIMO以外の参加者の手によって描かれた。ある晴れた日に犬を散歩させて、自由にあるく犬の後ろについてその通り道で目にするものを12名の参加者がフロッタージュで拾っていく。それを集めてある法則に沿って処理をし、16mmフィルムの音声を感知する部分にフロッタージュ群を貼付ける。そして映写機にかけると、フロッタージュドローイングを映写機が音の波形として認識し、音声を出力する。この音声には天体の運行から導き出されたリズムが与えられ、壁面に設置された天球に向けて投影される。16mmフィルムには音声部分の情報しか描き込まれていないため、映像は現れず、プロジェクションの明かりのみが灯される。フロッタージュの静止画はフィルムの回転により動くことで、音のアニメーションとなる。アニメーションにも関わらず視覚的な投影画像はなく、他者が描いた不連続なドローイングをある法則に沿ってシステマチックに、連続する音に変換させるという非常に野心的な試みだ。また、上映というスタイルを離れて物質としてのフィルムに着目してインスタレーションとして展開することも、絵画からスタートし、完成した一枚の絵画よりもその制作過程に強い興味を持ってアニメーションに至ったという、アニメーションの構造的な特徴に非常に意識的であったALIMOらしい批評性を伴った実践だ。ただ、映写機をインスタレーションとして登場させたことで確かに論理上はアニメーションの構造を明確に観客に提示するものとなったが、実際にはアニメーションが生まれる原理を理解していないものにとって画像が現れず音声のみが響き渡る空間で、アニメーションという世界に浸ることはなかなかハードルが高く、作品としての強度を保つためにはもう一段階異なったレベルの飛躍が必要なようにも見受けられた。しかしながら、限られた時間でアニメーションの新たな境地を開こうとする挑戦的な態度は讃えられるべきであるし、安定したクオリティを保つ「メルヘン」的作品に加えて、これら「あそび」の作品によって実験的な挑戦を続けることは、作家の創造をより豊かでユーモア溢れるものに昇華させていくに違いない。さらなる「あそび」の展開に期待したい。

(1) ALIMOへのインタビューより(2014年12月10日ACACにて。『AC2』no.16掲載)
(2) 2014年11月22日ALIMOレクチャー「アニメーションとシュルレアリスム」における発言より。
(3) 2014年11月22日ALIMOレクチャー「アニメーションとシュルレアリスム」における発言より。
(4) 2014年11月22日ALIMOレクチャー「アニメーションとシュルレアリスム」における発言より。

楽譜:<星空と犬の散歩>に基づく音楽のためのアニメーション

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