國府理展 相対温室

2014年4月26日(土)~6月22日(日) *4月30日以降中止

國府 理

KOKUFU Osamu

國府理《相対温室》2014年 
撮影:山本糾

《相対温室》がみせる世界の縮図

近藤 由紀

國府理は、車を中心とした乗り物やエンジンなどの動力を使い、空想科学的な世界を感じさせる作品や乗り物を一貫して制作し続けている。本展でも展示された《自動車冷蔵庫》(1998年)は、作家が実際に乗っていた自動車のエンジン部分に冷凍装置を取り付けた、いわば自動車型の冷凍庫なのだが、劣化を遅らせ「保存」する冷凍装置と乗り物の組み合わせは、レトロフィユーチャーなタイムマシンを想起させる。

一方で高い技術力で、職人さながらに車や部品を扱いながらも、作品はその手わざを強調するのではない。最終的な発表が車や乗り物の形をとるため「モノ」作りの技術の印象は強いが、乗り物や車は、画家の絵具や筆のように作家の内なるものを外化するための媒介として機能しており、その素材、質感、さらにはその構造が作者の造形言語の体系を支えている。そのことは、國府が同じパーツを組み替えながら作品を制作しつづけるばかりではなく、興味深いことに、他の作家と作品の一部を共有するなどしていることからもうかがえる。つまり自らが制作した個々の作品や機械は、大きな一つの作家の世界観を構築するための部分として入れ替えが可能であるということであろう。今回ACACで制作された《相対温室》も、水槽、鉄塔、パラボラアンテナといった他の作品で使用されたパーツが再利用されている。だがここでは新作、旧作という区別はほとんど意味をなさないだろう。それらは全体で一つの世界観を、一つの「相対温室」を作り上げているのだから。そしてこの《相対温室》は、この空間のために作られ、この空間でしか成立しないまさにサイト・スペシフィックな作品となった。

ギャラリーの奥には水槽を上部に載せた鉄塔が立ち、その水槽の前面からは木製のプランターがカーブしたギャラリー空間に沿うように段々状に連なっている。プランターにはACACの森の土が詰められており、中央に設置されたプラスチックの樋を伝って水が流れ、その樋に開けられた小さな穴からしみ出した水が少しずつ土にしみ込むようになっている。全長約30mのプランターの列の先には、外径約4mのパラボラアンテナが設置され、水槽からの水の流れをその皿に受け止める。受け止められた水は少しずつ下の水路に落ち、ある一定の量になるとポンプが作動して水槽に戻っていく。水はゆっくりと循環しながら土を潤し、無作為に詰められた土から種子を芽吹かせる。こぼれ落ちる水を受け止める皿には苔生した石が配置され、小さな盆景を作り出している。高いところから低いところに流れる水は植物を生育させ、水豊かな風景を生み出し、再び水源へと戻っていく。それは水をめぐる自然の循環を思わせると同時に、水豊かな私たちの国の原風景を思い起こさせる。このインスタレーションの横には会期中作家がプランターの植物の世話をしたり、その中で時を過ごしたりするための移動式の「人間のささやかな生活の温室」が設置されている。人は水の循環からは切り離されているが、それを静かに見守り、手助けすることで大いなる循環に関与している。

この作品ではほとんどサウンド・インスタレーションといえるほど作品における音の印象が強い。段差をおちる水はプランター内に設置された缶に落ちることで、それぞれの場所から異なる音程と異なるリズムの音を常に響かせている。それらは残響が強いACACのギャラリーの中でこだまし、ぶつかり、涼やかで複雑な明るい音色を奏でている。長い作品は移動しながら鑑賞するのだが、鑑賞者が動くことで反響の場が変わり、視覚的にも聴覚的にも少しずつ変化していく。國府の作品は展示される場所に合わせ制作されるのが常ではあるが、今回のこの作品は空間の高さと長さを十分に利用したという意味でサイトスペシフィックなばかりではなく、音の要素を取り込むことにより、ここでしか成立しえない作品として完成した。

展覧会のタイトルであり、作品のタイトルでもある《相対温室》は、世界と人間の関係を相対的に俯瞰しうる装置としての「温室」(=作品)を表している。「温室」は、何かを守り育てるための自然を模した理想的かつ人工的な生育環境であるが、言い換えればそれはその動植物にとっての疑似環境世界である。現実を凝縮しながらも、現実にはあり得ないユートピア/ディストピアが、それゆえに現実に対する客観的な眼差しをもつことで、茫漠と広がる我々のこの現実世界の様々な価値や事柄を相対的に認識させ得るのは、空想社会小説の例を挙げるまでもないだろう。水が循環し、植物を生育させる装置とそれに寄り添う人間の温室のある作品は、水をめぐる生命の幸せな縮図といえるかもしれない。一方ギャラリーBでは、悪しきものが循環するもう一つの「温室」の作品が設置され、ギャラリーAの作品と対をなしている。広い世界で薄められ、意識外に追いやられていたもう一つの循環は、温室として世界が縮小されることにより、毒々しい緑色の雨となって再び降り注ぐ(《Endless Rain》2014年)。それらは共にこの世界のある縮図として、圧倒的な新緑の森の中、地形を考慮しながらも人工的なラインが強調されたギャラリーの建物それ自体を現実世界を凝縮した一つの「温室」のようにみせ、人為と自然の交わりを入れ子状に示していく。池の中央にはひっくり返った車の上に周囲の土が盛られた《虹の高地》が象徴的に設置され、会期中それらの植物は驚くほどの勢いで成長していった。池の水に反射した姿で初めて車としては正位に映じるその作品に人為と自然の闘争をみるか、融合をみるかは鑑賞者にゆだねられたに違いない。

このように國府の作品ではしばしば植物などが取り込まれることで、自然と人間の二項対立を想起させるが、一方で國府によって制作された「機械」は、その構造自体がこの世界の構造と重ねられ、機能やシステムが抽出されて、世界の縮図のような場を作り出す。さらにその造形言語である機械一つ一つに対する作家の愛は深く、また擬人化された機械たちは、私たちの姿でもある。だからこそそれはしばしば厳しい現実を想起させることでディストピア的な物語世界を想起させながらも、融合不可能と思われた事象の夢想的な対話を心奥に植え付け、小さく芽吹かせるのだろう。

植物が生育した《相対温室》

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國府理《虹の高地》

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植物が生育した《虹の高地》

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