航行と軌跡

2015年10月24日(土)~12月13日(日)10:00-18:00/会期中無休・入場無料

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加茂昂

KAMO Akira

《事象と心象のドキュメンタリー》
油彩/キャンバス、サイズ可変、2011-2015年
撮影:山本糾

サバイバルと絵画による記録

服部浩之

高層ビルが建ち並ぶ夜景、雄大な山並み、社会的な出来事や事件、日常の風景、そして無名の人々のポートレイトなど、現在の社会を構成する多様な要素を、サイズもプロポーションもまちまちのキャンバスに描き、そのキャンバスを組み合わせることで加茂昴の絵画によるインスタレーションは構築される。そこには、加茂が実際に訪れた場所だけではなく、インターネットを介して取得した情報など、彼の日々を取り巻く多様なイメージが織り成されている。

各絵画は構図的にも主題的にもそれ一枚で独立した作品であるが、加茂はそれらを独自に配置し、組絵画として成立させる。額装することはなく、また等間隔で整然と並べるなど一枚ずつを独立させて見せるのでもなく、多数の絵画を立体的に重ね連続させることでバラバラな出来事や風景をつなぎ、ひとつのドキュメンタリー(=記録)として提示するのだ。

加茂は、一見何の脈絡もない様々なイメージを連続させていく。高層ビルの夜景の下には津波や震災の瓦礫の絵が現れ、そのすぐ脇には美しい森や山の風景が配置される。また、佇む人の姿なども出現する。これらの一見断絶された時間や出来事、風景が繋がっていく様は、まさに私たちの現在の生活のあり方を想起させる。つまり、多くの人が大都市で暮らし高層ビルの灯りの元で働き、その一方で休日には山に登ったり美しいとされる風景のなかに身を置いてみたりする。同時にすぐ隣では地震などの災害により、生活の場を奪われるような大事件が発生している。多くの人はテレビやインターネットで大津波の様子や福島第一原発の行方を必死に追っていたであろう。このように、私たちは自分がどこかに行く具体的な経験だけでなく、インターネットやTVなどのメディアを介して様々な出来事を追体験している。加茂は彼自身の日々の生活を取り巻くそれらの断片的なイメージを、絵画として描き、コンピュータの画面上のように切り取り重ね合わせて再構築することで、不確かな現実をドキュメントする。

絵画一枚一枚や、その接続のあり方、あるいは一枚の絵画のさらに細部に着目することで、加茂の思考や興味を看取することができる。このシリーズは東日本大震災の経験から始まったという。震災を受けて絵を描いている場合ではないと感じた加茂は被災地に赴きボランティア活動に勤しみ、あるきっかけから被災地のシャッターに絵を描くなどの経験をし、最終的に「一人の人間として生きることと、絵を描くことは同じ事なのかもしれない」[i]ということに気付いたという。本作は、その加茂の気付きを体現している。例えば、険しい雪山の風景の絵画と瓦礫の山の風景の絵画が並置されている部分に着目すると、スケールも状況も全く異なる、似たような形態のふたつのモチーフは、《事象と心象のドキュメンタリー》というタイトルが示すとおり、具体的出来事(=事象)としての廃棄物の山、そして心に浮かぶ像(=心象)としての雄大な冬山が、絵画として定着されることで、どちらも加茂昴の眼をとおした記録(=ドキュメンタリー)として提示される。

作品はタイムラインを形成するように、鑑賞者の移動に応じて右から左へと展開される。その一番奥には、最も大きなサイズで、大平原の先にある雄大な雪山とそこへ向かう人々を描いた絵が設置されている。この作品には、現在の加茂の態度表明のようなものを見出すことができる。加茂は、2012年の個展で掲げたステイトメントを、「生きるということと、芸術とは死から始まるということを忘れないように、素直に、このバグった日常を、絵画と生き延びる。」と結んだ[ii]。つまり、「それでも生き延びるしかない」という意思を、淡々と雪山に向かっていく人々の様をあらわすこの絵が最も大きな作品として構成されていることに見出すことができる。

しかしこの絵の細部に着目すると、実は現在の日本社会の危機的な状況が描かれていることもよく分かる。画面右側に描かれた一列に並び山に向かって黙々と進む人々は軍服に身を包み武器を持っている。さらに、左脇には炎に包まれ焼け焦げ身悶える人が描かれ、その少し先には白い防護服か宇宙服のようなものを身に纏った人が描写されている。これは、昨年安全保障関連法案が可決されたことや、今も続く世界での紛争や虐げられた弱者の問題、あるいはまだ解決の糸口が見えていない福島原発の問題など、私たちの目の前にある無数の社会問題が我々の生活と密接に関わっていること、そしてこれらの出来事と加茂の日常との心理的距離が非常に近いということを描き出していると言えるだろう。青森で描かれたという事実と照合すると、八甲田山や雪中行軍[iii]を想起する人もいるかもしれない。震災後において、現実社会における諸問題に対して決して無自覚ではいられないということ、そしてどんな過酷な状況下でも、それでも生き抜くしかないという画家として現在を生き抜く決意のようなものが、事象と心象を交えた現在をドキュメントする記録画的なあり方に込められている。

写真や映像ではなく、敢えて遅いメディアである絵画を用いてドキュメンタリーを実践することは、記録という絵画の原点に立ち還り、3.11以後私たちひとりひとりがこの社会の構成員であるということを改めて実感し、そしてそのような現状を創造を糧として生き抜くしかないという現在を生きる画家としての決意のあらわれでもあろう。バラバラな出来事や場所がひとりの人間の経験を介してつながることで、我々の生活と創造がやはり地続きであること、そして人間は創造を続けることで愚直にサバイブするしかないということを、強く再認識させるのだ。

 



[i] 加茂昴へのインタビューより。(『AC2』17号、国際芸術センター青森、2016年。)

[ii] 2012年に開催した個展「【絵画】と【生き延びる】」(island MEDIUM)における加茂昴のステートメントより一部抜粋。

[iii] 現在も八甲田山では自衛隊による訓練などが行われている。1902年には日本陸軍が八甲田山へと向かう雪中行軍の訓練の途中で遭難した八甲田雪中行軍遭難事件が発生。参加者210名中199名が死亡した。

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