〇動

2018年10月27日(土)-12月9日(日)10:00- 18:00、会期中無休、無料

山下 彩子

YAMASHITA Ayako

≪稜線から生まれたダンスがあった≫ There was a dance born from a ridgeline

ダンスと先に

村上 綾

山下はコンテンポラリーダンスの分野で活動するダンサーとしてダンスカンパニーに所属し作品に出演するかたわら、個人の名義で振付や演出も行い作品を発表してきた。
ACACでは森や建物などの輪郭線から制作するダンスを軸に、ワークショップ、ダンス作品の制作、展示作品の制作の3つの活動を行った。ワークショップを開催していく中でいくつもの実験と実践を重ね、同時に展覧会に向けて、インスタレーションの制作とオープニングで披露するダンス作品の制作を進行させた。さらには展覧会がオープンしてからも山下は動き続けた。ワークショップの開催の継続はもちろん、いつの間にか展覧会場の他の作家たちの作品と呼応するダンスを創作し始め、実践を重ねていった。
彼女は滞在中に「ダンスとは何か」に関わる話をしていた。なかでも「ダンスは本来能動的なもので、たとえ体が動かなくなったとしてもダンスが出来る」といった発言や「動いている人に自覚がなくても、周りの人が『あれはダンスだ』と言う場合もあるでしょう?」(*1)といった言葉が印象的だった。この2つの発言の相反する内容は、それはダンスの現在の捉えられ方の実際を表しているように思えた。確かに、誰がどうやってダンスを定義するのだろうか?彼女がACACで行った沢山の試みは、この問いに向き合う方法を探っていくように、一方で得た気付きを他方で発展させていった。
山下は景色の中に見える輪郭線を見ると自身のせわしない日常の中でも心が落ち着くのだと言う。景色の中の輪郭線からダンス作る方法はそのことに由来している。彼女はこれらの線を「稜線」と呼ぶことにして、魅力を感じた線を紙に描き、丹念になぞることから始め、身体の細かな部分までも使って動かすことで、それらの線をつなげて一つのダンスにしていった。例えば、山の際を描いた一筆書きのなだらかな線を、初めは指先でなぞりながら、その動きにつられて手首が動き出したと思ったら線のつづきを手首で、そうするうちに肩が動き出したと思ったら次は肩で、次は腰で、と繰り返していく。目の前の線と同じくらい自分の身体感覚とその変化に注意して、自分の身体の動きとその線が重なっていく連鎖を丁寧に気づいて拾い上げていくのである。
山下は滞在中の週末のほとんどをワークショップにあてた。滞在期間の中盤からは、タンバリンなどシンプルな楽器と共にショーイングも開催した。その時なぞっていく線は紙の上に描いたものの記憶だけではなく、周辺の景色や、自身の記憶の中に存在することになる。ダンスの制作のきっかけを自身の身体と周辺の環境が重なり合う瞬間として、ダンスを生み出していった。自分が周りにある線に合わせて動く限り、自身の身体の動きを意識して追っていく限り、その連鎖は無限に広がるのである。
山下は、ワークショップを自身の探求の場としても活用し、参加者の反応から共有できる身体感覚を確かめることで展示作品のアイデアを得た。ダンス作品を制作する過程を追体験するようなインスタレーション作品《稜線から生まれたダンスがあった》を発表した。ギャラリーには細くて見えないテグスによって浮かぶ紙とマット、動きの指示の書かれた数枚のメモしか見当たらない。鑑賞者はマットよりも手前の位置で履物を脱ぐように促され、ひんやりしたコンクリートの床の上を順路に従って歩き、柔らかなマットの上に上がって稜線の書かれたドローイングを眺める。進んでいくうちに見つけたメモを足元から拾い上げ、書かれた指示を解釈して自身で体を動かしていく。描かれた稜線を、指をはじめ、へそや喉、かかとや小指のへりといった体の小さな部分まで使って、なぞるように促される。ここで鑑賞者は、ワークショップで参加者が体験したように、線と自身の動きを同期させ続けるという経験をすることになる。
ダンス作品を展示する場合、映像や写真といったダンサーの動きの記録が用いられることが多い。しかし山下はそういった踊る身体の複製を選ばなかった。この作品は彼女のダンス制作の追体験でもあり、ダンサーの身体が不在の状態で観るダンス作品(*2)でもある。それは作品を体験する人の身体に山下のダンスを憑依させることで、ダンス作品を成立させているようにも見える。しかし「ダンスは本来能動的なものである」という彼女の言葉を思い出せば、動く人が自覚しなければそこにダンスは生れていないことになる。つまり、この作品では「身体(の複製)の提示なしでダンスが成立するか」「踊る人と見る人のどちら側にダンスがあるのか」という問いが浮かび上がってくる。
複製によってダンスが鑑賞されること、さらにはダンサーの身体の存在ありきで作品が成り立つこと、といった現状に対して疑問を持ち、静かに対峙する。それがACACで山下が実践してきた姿勢である。ダンスを取り巻く疑問を、展示という畑違いの方法で問う自由さを山下はACACで獲得したのである。それと同様に、ダンスが存在する先は私たちが思うよりもずっと自由で開かれているのかもしれない。

(*1)インタビュー(2018年12月8日)でも同様の発言をしている。『AC2』20号、国際芸術センター青森、2018年
(*2)山下が展覧会のハンドアウトに寄せたテキストより。

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≪稜線から生まれたダンスがあった≫ There was a dance born from a ridgeline

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≪稜線日和≫ A Perfect Day to See a Ridgeline
撮影:すべて山本 糾