この現実のむこうに―Here and Beyond

10月28日(土)-12月10日(日)10:00-18:00 会期中無休/無料

ラーキー・ペスワニ

Rakhi PESWANI

《初まりの合図(あやふやなバランス)》
木、黄麻布、鉄、紙、サイズ可変、2017年
撮影:山本糾

価値観のルーツへ

村上 綾

ペスワニは、会場の壁面に刺繍の作品《初まりの合図(私たちの体)》、テーブルには複数の虫の絵をポストカードに描いた《初まりの合図(無垢の体験)》、天井からはモビールである《初まりの合図(あやふやなバランス)》を吊り、タイトルからも明らかなようにそれらはそれぞれに独立した作品でありながらも密なつながりを持たせて構成した。

《初まりの合図(私たちの体)》は壁に貼られた30枚ほどの綿布からなり、それぞれに感覚にかかわる言葉の上に「your (あなたの)」と刺繍され、見る人に自身の身体感覚について考えさせる。刺繍された言葉は、「Itch(かゆみ、うずうずする気持ち)」など、肉体が受ける感覚だけでなく、精神的な状況も表す言葉が並んだ。また、揺らいだ線で刺繍された「Angry」は怒りに震えるような身体を思わせ、小さく布の端にひっそりと存在し、そのまま布から消えていってしまいそうな「Silence」は、はっと言葉を飲み込むときの感覚も想起させる。意識されにくい重層的な私たちの感情や感覚を、細やかな刺繍で表現してみせた。それは、肉体と精神からなる私たちの身体感覚を丁寧に解きほぐし、いかに私たちが肉体と精神でもって刺激を受ける外界と関係を結んでいるのか、諭し伝えるようである。

《初まりの合図(無垢の体験)》の鑑賞は、家でくつろぐときのように靴を脱いで、テーブルの上に広がるたくさんのカードを見ることから始まる。繊細な筆致で描かれた虫の絵を眺め、山折りになったカードを開いて書かれた文字を読むとき、小さな命に触れるときのように、おそるおそる手に取り、丹念にながめる。その行為は、幼いころ、名も知らぬ虫を手のひらに載せて観察していたように、周りの環境に真摯に向き合っていたときのことを思い起こさせるだろう。緻密に描かれた虫たちは、そのときの初々しくも貪欲な観察力を示唆し、いかに私たちが肉体と精神とで刺激を受ける外界に反応し、それらと関係性を築いてきたかを思い出させるのである。

《初まりの合図(あやふやなバランス)》は6つのオブジェクトで構成されている。ねじられた黄麻布、木の枝の束、豆のような形をしたクッション、動物の骨や葉の形を思わせる木のオブジェ、おおきく膨らんだ黄麻袋。どれか一つに触れれば、他の物も合わせてゆれ動き、空間全体の見え方が変化していく楽しさがある。先に述べた2つの作品では、鑑賞者の記憶を通して身体感覚が呼び起されることに特徴があったが、この作品では、より直接的に身体感覚が刺激されるだろう。どれか一つのオブジェを観察するためであったり、モビール全体の動きを見るためであったり、あるいはどれかを触るためであったり、鑑賞者は自然と作品に合わせて体を動かし、視覚や触覚から呼び起される印象も変化し続ける。また、ここにはイギリスの植民地時代以降の近代化したインドの風景も重ねられている。

ペスワニは今までも、視覚や嗅覚から得られる印象によって、労働や社会環境を想起させる作品を制作してきた。例えば《労働者の実(消耗のモニュメント)》[fig.1]で使用したコーヒーや紅茶の出し殻は、しずく型にぶら下がった綿モスリンの袋の中からシミを作り、しだいに匂いを放ち始める。出稼ぎ労働者が膨らんだ袋を持ってバスに乗っているのはインドでは日常風景だという。そのため袋は労働者を、そこにできたシミはその汗を示している。奥の壁に配置されたドローイングを見に行くには、その袋の群衆を通り抜けねばならず、通勤のために車内でひしめき合う人のなかで、汗の匂いも感じながら分け入って進む体験を思い出すようになっていた(*1)。

今回制作された《初まりの合図(あやふやなバランス)》においても、大きく膨らんだ袋は労働者を思わせる。その他、ねじられた一本の黄麻布は人のエネルギーを、豆の形のクッションから針金が伸びたオブジェは植物の芽吹きを、骨のようなオブジェは生き物を、木の束はインドでよく使われる燃料である薪を表し、人が移動しながら生活をする現代において、関連しあっている他の物事も動き、連鎖していく様子を表している。

このように、ペスワニの作品は、周りの世界と私たちとの関係性がいかに築かれ、連環しているか、私たちに諭し伝える。これら一連の作品は、見る人を、周りの世界に私たち自身を合わせるという基本的な価値観に立ち返らせるのである。

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(*1)関連イベントのトークでの発言(2017年11月12日)。

fig.1

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《労働者の実(消耗のモニュメント)》Zhejiang Art Museum(中国)での展示、2013年

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《初まりの合図(あやふやなバランス)》
木、黄麻布、鉄、紙、サイズ可変、2017年
撮影:山本糾

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《初まりの合図(私たちの体)》
キャラココットンに刺繍、虫ピン、サイズ可変
2017年
撮影:山本糾

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《初まりの合図(無垢の経験)》
中性紙にガッシュと鉛筆、閲覧机、サイズ可変
2017年
撮影:山本糾