この現実のむこうに―Here and Beyond

10月28日(土)-12月10日(日)10:00-18:00 会期中無休/無料

本山ゆかり

MOTOYAMA Yukari

撮影:山本糾

描くべき線にむかう

伊藤聡子

これまで絵を描くという行為自体に集中できたためしが無かったのだという本山は(*1)、絵画的な文脈や個人的な思い入れを遮断して、「よい線を描く」という行為のみに向き合う。絵画に含まれるモチーフ、構図、線の描き方などの多くの要素を分解してそれらへの向き合い方を一つずつ見直し、必要だと思うものだけを残す方法で制作された作品が、本展でも発表している「画用紙シリーズ」だ。並べられた絵をよく見ると、表面はアクリル板に遮ぎられて絵の具の物質感を直接つかむことができず、それが板の裏から描かれていることに気づかされる。絵の具の重なりによって時間や感情を物語ることができるであろうマチエールは、ここでは絵を裏返すことで均一化され、線を見ることだけに集中させようとする。一見のびやかで、時にユーモラスに見える線。本山の絵画において、その表面で目にすることのできる線と面が現れる過程から説明したい。

本山の絵に描かれている図像では、それが何であるかを認識するために必要となる線がぎりぎりまで絞られる。何かを説明することになる情報は入っていない。人や、お皿だろうかという推測を残してタイトルを見ると、描かれた図像そのものの単語のみが示されており、確かにそう見える線の存在に改めて目を向けさせる。その線はデジタル上で行われたドローイングをもとにして描かれる。個人的な感情や物語性のあるものは避けて選択された日常の情景、静物や風景は、素早く何枚も繰り返し描かれ、データとして保存されていく。デジタル上では線の重なりやマチエールといった物質的な痕跡が残らないため、ただ線による図のみを判断することになる。そこではさらに時間をかけて線、面、構図の良さが精査され、いくつかの図像へ絞られていく。作品として提示されるのはアクリル板に絵の具を用いて描かれた絵であり、最初に行われるこれらのドローイングは、下絵でも習作でもなく、作品を描くときに見るための「モチーフ」となる。線を簡単に消したり戻したりすることは、描くという行為から一度離れ、モチーフという一般的に絵画を描くときに用いられる静物などの題材を準備するための作業のようだ。アクリル板の上でそれを見ながらその通りによい線を描くことのみに集中するためには、この段階で構図や形などの要素をすべて決定しなければならないため、重要な過程となるのだ。

透明な支持体には絵画空間でいう地はなく、絵のタイトルになっている通り、画用紙自体から描かれることになる。もちろん支持体の上に背景となる地を描くことはあるだろうが、タイトルにあえて「画用紙」とつけることで白い面がその紙であることを示し、本来なら支持体にあたる画用紙を絵として描くことで存在を目の前に提示し転換してみせている。地とは言え、そこでは白の絵の具の厚さによってグラデーションが生まれたり、絵の具が垂れて形を生み出したりしており、図像と同じ階層に位置づけることもできる。描かれる画用紙は、その大きさが作家の意思で自由に変化されるし、従来の「絵を描くための紙」が四角であるという規定さえ無くしてしまう。

さらに展示方法では絵を空間として提示するというより、アクリル板そのものを物質としてみせる方法がとられる。いわゆる絵画の様式であるように壁にかけるのではなく、これらの絵の下には台座が作られ、そこに「置かれて」いる。また、角度をつけて立て掛けることで裏側の存在を示し、絵画は裏側と表側のある「物」であることを提示しているようだ。また、アクリル板という工業製品は、近年の生活では身近過ぎるほど常用され、私たちがイメージを求めて凝視しているスマホやパソコンといった、マチエールを失ったモニター画面を思い出させる。それを扱うことは、デジタルネイティブの作家が生きる時代においてごく自然なことであり、裏から描くことで一つの要素を無くすという本山の手法にも、この透明な板を使うことが必然であったといえるのだろう。そこからなお、透明な板を通して見る線と白の背景に現れる絵の具の垂れや動き、重なりによるグラデーションは、観る者の目をとらえ、画面から浮かび上がってくる。

絵を、線をよく描くために自分にとってそれが何かを探り、獲得するために描く要素を減らしていったその手法は、観る者にも絵の既成概念を問い直すこととなる。作品の根本を支えているのは西洋から輸入されてきたともいえる美術のシステムでしかないのか、ということに虚しさを感じる(*2)という本山ではあるが、ひとつの見方としては、この手法はまた、過去の美術のシステムを壊していく側面を持つ現代美術の上で成り立つことができるともいえるのだろう。

とはいえ、本山はそういったこれまでの絵画の概念を覆す、問い直してみせることを目的とするのではないと思われる。ものごとが溢れ、ただ無防備に過ぎ去っていってしまいそうな潮流の中で危機感を持ち、自分が描くべきものが何なのか、絵画という媒体に真摯に向き合う。のびやかな線の一本一本と形の裏に、絵を描くことの意志を感じることができるのではないだろうか。ドローイングから作品として描かれるまでのシステム化された過程に、再びものを作る、描く人の手を浮かび上がらせるのだろう。そして作家は、一本の線を引くことから絵を描く楽しみを確かめ、また観る者にもその楽しさを思い出させたり思考を与えたりすることができる。

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*1 高田マル ほか『絵画検討会2016 記録と考察、はじめの発言』、アートダイバー、2016年、p.128。
*2 滞在制作中の聞き取りでの発言(2017年9月22日)。

ACAC本山ゆかり 1

《画用紙(木と人)》

ACAC本山ゆかり 2

《画用紙(大きな皿、人)》

ACAC本山ゆかり 3

《画用紙(本)》

ACAC本山ゆかり 4

《画用紙(岩か穴、二人)》

ACAC本山ゆかり 5

《画用紙(二つの石を持つ人)》

ACAC本山ゆかり 6

《画用紙(棒と人_右)》
《画用紙(棒と人_左)》

ACAC本山ゆかり 7

《画用紙(海と月)》

ACAC本山ゆかり 8

《画用紙(たらい)》

(以上全て)撮影:山本糾