カエテミル

2016年10月22日(土)~12月11日(日)10:00~18:00 会期中無休・入場無料

鎌田友介

KAMATA Yusuke

《The House》
木材、ビデオプロジェクション(約15分)、2016年
撮影:山本糾

破壊と構築のダイヤグラム

近藤由紀

建築を通じたリサーチを行い、それらが内包する歴史や近代化における人為的な文脈の構築を作品によって再提示することを試みてきた鎌田友介は、今回の滞在制作において、数年前から温めていた日本家屋についてのリサーチから作品を展開した。
作品《The House》では異なる場所、異なる時代に、異なる意味と目的のために建造された日本家屋を調査し、そこから得た情報を断片化し、再構成することで、同じ形の建造物の別の姿を表している。今回の作品では、現存し現在も使われている日本にある家屋と、第二次世界大戦中にアメリカ軍が日本本土攻撃のための焼夷弾実験の際にユタ州の砂漠に建てた日本家屋、そして1910年代から30年代に日本が韓国を統治した際に建設され、外面に変更を加えながらもいまだ現地に残っている日本家屋が対象となっている。
綿密な調査や現地への取材が行われているが、作品ではそれらの資料が詳細に提示されているわけではない。作品は、組み合わせられた映像と、その映像に重ねられているそれぞれの関係者(東京の日本家屋に住む女性、10歳まで釜山に住んでいた老女、釜山に住む親せきが日本家屋に住んでいたという韓国人女性、そして青森市在住の建築家)による日本家屋についてのごく個人的な体験や感想としての語りによって構成されており、調査結果としての歴史の事実は、その断片的なイメージと言葉の中からそれとなく窺い知ることができる程度にとどめられている。
映像作品の制作以前に、小割で組まれた二階建て家屋と同じ大きさの構造体がACACの野外、水のテラス中央に建てられた(fig.1)。約7m高の構造体は、浅い池の水にその姿を反映させ、深く水底に延びるようにみえる仮象像としての日本家屋の姿を水面に現前させる。この実像と虚像の関係は、ギャラリーで展示された映像作品の構造に反映された。6m高の縦長の映像は上下に分割されており、中央の水平線を軸に上下が反転された家屋が映され、丁度水面の上にある実像と水面に写る反射像と重なり、「日本家屋」という存在の実像と虚像を暗示する。空間に描かれたドローイング、あるいは設計図のように建造されたこの構造体は、焼かれ、崩され、その姿が映像作品の内に象徴的に取り込まれた。
ところでそもそも水面に設置されたこの構造体自体が、現実空間に建造された虚像としての日本家屋として位置づけられているといえるだろう。垂直と平行を効果的に取り入れたモダニズム建築の特徴を備えた安藤忠雄設計のギャラリーと、高くそびえる北国の森に挟まれた池の中央に建てられた構造体は、自然とモダニズム建築の間の水の上に置かれることで、日本の風土を背景に確立されてきた木造建築の様式が、モダニズムの文脈に取り入れられることで再評価されていくその歴史の推移の途中に実在感を欠いた骨組みのような姿で置かれているようにみえる。
日本の原風景を構成する古き良き時代の象徴としての日本家屋は、一方で日本人のアイデンティティを象徴する存在として誇られている。しかしそれはヴァナキュラー的な観点(それも外の眼を必要とするのだが)からその土着性が評価されたのではない。鎌田はここにタウトの桂離宮に対する評価から始まる日本の木造建築を欧米のモダニズム建築の文脈に接続させ、その評価をもって文化的な正当性と民族的なアイデンティティの確立しようとした戦時中の人為的な動きを指摘する[1]。
これまでの作品でも鎌田は建築を通じて戦争やエネルギー産業の歴史を掘り下げ、近代化におけるある種の歪みを提示しようとしてきたが(fig.2)、鎌田が作品において示そうとしているのは、単に近代史の裏側や戦時の埋もれた歴史ではなく、それらを通じて顕在化するローカルとグローバルが接触する際に起こる権力や力の構造といえるだろう。その関心は初期の作品においても見出すことができる。例えば2009年に制作された《100の定義》(fig.3.)は、平面的に見える立方体が100連なって一つの立方体を作るという作品である。空間にドローイングするように作られたこのインスタレーションでは、作品における多視点の導入が試みられている。様々な位置からみることで、作品の見え方が変わるという作品であるが、その背後には作品を見る際の作品と鑑賞者の関係に、「視点の強要」を読み取り、その強制力を顕在化させるために異なる視点を提示している。それは今回の作品にも通ずる態度であり、視点を変えて繰り返し行われる調査は、こうした大きな力に対抗するための手段であり、パラレルな在り様の提示は、その力の存在を暴くために有効な手段として用いられている。こうして異なる時間、異なる場所に異なる目的で建造された日本家屋の様々な在り様は、形の類似性を利用して操作された文脈や歴史の象徴であり、作品はその正当性を強調するやり方に対する疑念を示すこととなる。鎌田の作品においてこの近代化の折りに引き起こされたドメスティックな美意識の恣意的なグローバル化と、国家的なアイデンティティの確立の密接な関係に対する関心をその中心にみることができる。
ギャラリーの映像作品を見た後、外に出ると、野外の池では崩れてもはや元の姿をとどめていない日本家屋の構造体が池の中に横たわっている。その木片はかつて日本家屋の構造体を形作っていた素材だと知れば、それらは想像上においても、現実空間においても再び元の形を取り戻すこともできる。しかし複数の視点を取り入れた先に立ち上げられた日本家屋は、異なる意味をもって再び立ち上がるのだろう。

 


 

[1] 鎌田友介レクチャー「別の建築史」での発言より(2016年10月30日)。

fig1

fig.1
制作中の《The House》

fig2.D Structure Atlas

fig.2
《D Structure Atlas》
水戸芸術館での展示、2013年

fig3

fig.3
《100の定義》2009年
2010年再制作、
トーキョーワンダーサイトでの展示

鎌田友介 8

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