普遍的な風景

2016年7月30日(土)~9月11日(日)10:00~18:00 会期中無休・入場無料

ヨーグ・オベルグフェル

Jörg OBERGFELL

《小屋》
インスタレーション、2016年
《小屋の類型学》
192枚のインクジェットプリント、各29.7×21cm、2016年
《ステップ》
木材、サイズ可変、2016年
撮影:山本糾

いくつもの距離を持つ小屋

伊藤聡子

ACACの曲線を描くギャラリーを進むと奥の壁の一辺に、《小屋》の小さな入り口がある。それまでの誘導的かつ天井が高く開放的な空間から一変、蛍光灯の光が真っ白な空間を際立たせ、どこか別の街のギャラリーに偶然入ってしまったような印象を与える。

オベルグフェルは、都市や建築物、日々の風景に溶け込んだ人々の生活の中から素材を見つけ、彫刻や映像などを媒体に、自然と都市の関係性、都市生活に潜む社会性をユーモラスに内包する作品を制作する。自身の外側にある物事、世界と対峙するように独自の視点で素材を拾い上げ、主題を直接的に示唆しすぎないような形で人々の前に提示する。その対象と展示方法の選択は、軽やかな距離を保つようである。

《小屋》は、ACAC周辺に点在する小屋のリサーチと撮影から始まった。用途に関わらず日用品を別な物と組み合わせたり、作業がまだ続いているかのように人の手の跡が残っていたりする一方、働く建物として、個人にとって機能的な作りに整えられている。クロード・レヴィ=ストロースは自著で、ありあわせの道具や材料を用いて自分の手でものを作る器用仕事(ブリコラージュ)を神話的思考になぞらえられ、科学的思考と対比する。しかしながら両者は根底で密接につながりを持ち、互いに支えあう関係として並置されると述べている(1)。拾い上げた素材を変化させて組み合わせるオベルグフェルの作品は、小屋が既存の材料を寄せ集めて作られる様子と重なるところがあるだろう。作家は小屋に「混沌と秩序の絶妙なバランス」(2)を見つけ写真で記録し、その「器用仕事」をインスタレーション作品へと展開していった。

《小屋の類型学》は192枚の写真を集めた一つの大きな作品だ。タイトル通りタイポロジーの手法が用いられ、近づいてよく見ると一定方向から撮影した小屋の写真と、その造りを部分的にとらえた写真が規則的に並置されていることに気付かされる。部分写真では、作家自身の視点を用いて様々な材料の寄せ集めがうまく機能していることに焦点をあてているが、タイポロジーの一定のルールの中に組み込むことで、客観性を失わずにその「器用仕事」を提示する。

錆びた鉄のパイプの束が器用にも壁を支えている様子。ペンキが垂れた壁や板の継接ぎが作り出すグラフィカルな構図。これらの一枚ずつで特徴をもつ写真は、作家の視点を追体験させるかのように見る者を惹き付け、日常に隠れてしまった物の形や質感に目を向けさせる。そうかと思えば、密集しているため隣同士の写真は見る者の目に入り込み、写真群が一つの作品であることに再び目を戻させる。見る者は焦点を一枚の写真に合わせられながら、引いては全体を一つの大きな写真または壁紙のように見る。距離感の違いを起こすようだ。

そういった距離感が別の形で《ステップ》と《壁》にも現れる。これらは小屋の一部を取り上げた作品であるが、とはいえそれぞれが空間を形成する機能そのものと化している。観客は《ステップ》を踏まずして展示室の中に入れないし、《壁》もその一角を担い従順にも自らの役割を果たす。空間の中に姿を隠した「作品」はしかし、不明瞭なものに対する距離を見る者との合間に保ちながらも、その違和感はかえって人を惹きつける。そしてその異物は実際に周辺に点在している小屋の一部を示すものなのだと気づかせると、作品としての認識の変化と親近感をもって一気に距離を縮めてみせる。

いわゆるホワイトキューブ自体は、それまでの空間との差を示すとともに、日常的用途のために無作為に現れた手の跡を、均一化された様式の中に浮かび上がらせる。けれども《ステップ》や《壁》のように機能に徹することで空間に溶け込もうとする作品では、単に無機質な白い空間にその対象の特徴を描き出すだけでなく、インスタレーションにおける物体と空間がどちらも出過ぎないようなバランスが保たれる。この空間は作家自ら白いペンキで塗り入念に設えられたが、作品を置くための様式というより、作品を左右し得るため丹念に作られるキャンバスの下地のようであり、この作品の重要な土台となった。

《壁》で用いられた小屋作りの定番ともいえる波板の半透明のプラスチックは、奥に置かれた雑多な作業具を透かせて見せ、内と外を反転させるようだ(fig.1)。まるで小屋の一部を持ち込むようにその器用仕事を模しながら、ホワイトキューブの一片を切り取ってそこに組み合わせたようでもある。それはオベルグフェルが用いる作風と、器用仕事の方法とを重ねてみることもできる。閉じられた展示空間に与えられた隙間は、ギャラリーの外へとつながる。

オベルグフェルはしばしば物と物の組み合わせに対比関係を示す。例えばACACの池の中に設置された《置換》では、実際にある小屋を半分に切り、その上下半分ずつを新しい素材と取り替えることで、もとのトタンや板の継接ぎの様子を強調させてみせる。またその小さな小屋は、真夏の森の風景に溶け込みながらも、ACACの均衡のとれた建築の真ん中、池の中で居心地を悪そうにしているのだった。

対比させる物の関係をどのくらい離すのか近づけるのか、そのさじ加減で表現は変わってくる。このインスタレーションの中では、随所でこういった関係性が多彩に現れていた。それらは見る者を惹きつけ、中に潜んでいるユーモアを発見させる。

奥の壁にもう片方の《置換》の小屋を撮影した一枚のモノクロ写真が掛けられている。ある林の中に佇むその一軒の小屋の写真は、《小屋の類型学》のインクジェットプリントとは大きく趣を変え、古い肖像写真のようだ。感じさせる古さは記憶、またはストーリーを思わせ、見る者の想像はその写された場所へとつなげられる。それが「いつ/どこなのか」というより、「実際にどこかにあった/あるらしい」という見えない存在に、さらに想像が広げられる。展示は終了しても小屋はその役目を終えるまでそこに在り続けるのだが、その在り方は、時間を超えて人々の中に残されていく言い伝えのようでもある。見る者の記憶や想像は、また小屋のように継接ぎとなって作品の一部となる。

《小屋》を構成するそれぞれの作品は、小屋の器用仕事を切り取り変化させながらも一つの空間に集約される。見る者と作品、作品と空間、また物と物との間に作家の目で測られた距離を保つ。そしてホワイトキューブから池へ、見る者の想像の線を描きながらさらに遠くへ、軽やかに広がっていくのだ。

(1)クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房、1976年。

(2)オベルグフェルが展覧会鑑賞者用の解説に寄せた文章より。

3

fig.1
《壁》(部分)

4

fig.1
《壁》(部分)

ACACーヨーグ 1

ACACーヨーグ 5

ACACーヨーグ 7

《小屋の類型学》(部分)

ACACーヨーグ 9

《置換》

ACACーヨーグ 11

《置換》