「再考現学 / Re-Modernologio」 phase1 : 衣食住から社会をまなざす

2011年7月23日(土)~ 9月19日(月)10:00 - 18:00/無料

西尾美也

NISHIO Yoshinari

《1000 Coordinates》部分

芸術生産活動としての「装い」が拓く新たな生活圏

服部浩之

「装いの行為とコミュニケーションの関係性に介入する」という西尾美也のプロフィールに記された一言は彼の活動をよく象徴しているが、一見すると意味が掴みにくい。西尾の現在の活動の出発点は「服が好き」という子供の頃からの変わらぬ思いで、小学生の頃から趣向を凝らして衣服を纏い、それに対する友人や周囲の反応を楽むという服を身に着けることで他者との関係を築くことを既に無意識に実践していた。しかし一歩仲間内という輪を離れると、どんな奇抜な装いをしてもほとんど誰からも見向きもされず単なる派手好きで片付けられてしまうというコミュニケーションが遮断された状態になることに違和感を感じたことにより、いわゆるファッションデザインではなく、現在のような「衣服で装う」ことを基調としたアート活動に向かっていったという。

西尾はその幅広い活動を「西尾工作所(英語名 Nishio Workshop)」と名付け展開する。彼は複数の拠点を持ちながら独自のアート活動を築くことを試みており、現在は東京とナイロビをベースにしている。 「西尾工作所」という名前は、彼の祖父と父が営んでいたミシンのパーツを生産する会社の社名に由来するのだが、ある意味この命名は彼の思想をよく表明していると思われる。英語名には「作業場、工作室、工場」などを意味する"workshop"ということばが採用されており、西尾は自身の活動をある種の家内制手工業の工場に見立て、独自の生産システムと経済原理を築きあげようとしているように感じるのだ。例えば東京都練馬区の東大泉児童館を中心に展開している「ことばのかたち工房」は、「ことば」と「装い」をツールにコニュニケーションのあり方を探求するものだ。西尾は、古着があって数人の人がいればどこでも展開できる汎用性の高いシンプルなルールを構築することにより、彼がいなくても無理なくどこでも実施できる遊びのようなシステムを開発したのだ。当然これは藤浩志による「かえっこ[i]」や日比野克彦による「明後日朝顔[ii]」などを想起させる。藤のプロフィールに、「全国各地でワークショップとデモンストレーションを重ね、地域に新しいタイプの活動をつくりだすシステム型の[OS的表現]を模索する[iii]」 とあるように、これはまさに西尾が実践していることの明解な先行事例であろう。他者と関わるシステムを組み立てることでプロジェクトを行うという点では藤や日比野の活動に通じる部分はあるが、彼らと西尾が圧倒的に異なるのは、西尾は地域での活動を築くことに主眼を置くのではなく、あくまでファッションデザインの新しいあり方を探求しているという点だ。西尾にとって「衣服」という存在は非常に重要で、それは彼のアイデンティティに関わる問題であり、どのプロジェクトもファッションを思考する手法としてあるのだ。

海外で見知らぬ人に声を掛けお互いの衣服をその場で交換しポートレートを撮影する《self select》や、何十年も前に撮影された家族の記念写真を同じメンバー・場所・服装で再現する《家族の制服》などは、 ファッションとアイデンティティについて考察するプロジェクトとも言えるだろう。見知らぬ他人と唐突に服を交換することも、昔の服装を再現して着せてしまうことも、その行為だけを取り出すと強引な力技だと感じる部分はあるが、その作品にはつい笑いを誘われるコミカルさがある。現場での西尾と他者とのやりとりなど、その背後にあるちょっとした緊張感のある時間や空間が想起されるからということもあるが、もうひとつに西尾自身のキャラクターに起因する部分も大きいようだ。女性を思わせるボブカットに、作業着や寝間着として売られている衣類を普段着として読み替え着用するその姿には、なにか不思議な魅力があるのだ。外見により人の属性が判断されがちであるということに疑問を感じ、服装から自分をカテゴライズされることを避けるために、予め想定された服の役割を外したファッションを採用するようになったそうだが、これはまさに「装いの行為とコミュニケーションの関係性」を考える行動の原点となる発想と言えよう。衣服の着用というごく当たり前の行為から既存の価値判断を少しだけ転換しようとするこの試みは、日常生活をより創造的に楽しむ大きな可能性を 提示していると思われる。

その前提のうえで今回実践した『1000 coordinates』というプロジェクトについて言及していきたい。天井高6m、幅10mで奥行きが40m程ある大きな展示スペースで西尾の活動を公開するという明確な最終目標があったため、西尾工作所青森支部をACAC内に設置し、公募で市民スタッフを募り、集まった約60名と共同制作を展開するというプロジェクトの骨子が自然と形成された。西尾は統計データなどを根拠に人が一生で着用する衣類の平均的な総数を4,000着程度であると算出し、その総量の古着を青森市を中心に募集した。どこの家庭にもタンスの奥に眠る服は必ず存在し、約1ヶ月で4000着の古着はあまり苦もなく集まってしまった。この状況のみからでも、現代の社会構造が生み出した消費文化について考えさせられるものがあった。

これまでも西尾は様々な地域で古着を収集し、それを用いて作品をつくってきたが、集まる古着がどんなものか考えたことはあまりなかったと言う。今回「再考現学」という テーマのもと、集まった4000着の古着すべてを整理分類分析し、それにより現在の社会や生活像を検証していくことを考えた。そのため西尾は「古着を用い て全身コーディネイトをする」という(遊びのような)ルールを、衣服分析の基本システムとして設計した。具体的には4000着の古着の山からシャツ、T シャツ、ズボンなどを参加者が自由に組み合わせ1000のコーディネイトを完成させ、同時にそのコーディネイトひとつひとつについて詳述するA4の分析シートを記入するというものだ。コーディネイトされた衣類はすべて西尾が着用し、正面、背面、両側面の4カットを写真撮影し、計4000枚の写真をつなげ、着せ替えアニメーションを作成した。この1000枚の分析シートをアニメーション映像とともに壁面いっぱいに展開したものがプロジェクト全体のタイト ルとも共通する《1000 coordinates》となる。この行程には約1ヶ月を要し、今回のプロジェクトの大きな魅力はある種ここに集約されていると言ってよいかもしれない。 4000着の服をひたすら着用するという行為自体はやはり少々暴力的で自虐的とも思われるのだが、女性もののスリムなワンピースであろうが、下着だろうが、コーディネイトされたものを全て着用するというルールを徹底的に遵守し淡々とこなしていく姿には、古着が持つ個別の記憶などをうまい具合に脱臭する効能があるだけでなく、その行為自体に笑いを誘われるユーモアが溢れているのだ。

西尾が着用して撮影するという 儀式を終えた服は、市民スタッフの手によって解体されていく。西尾は服が元来備えている性質や機能を手がかりに、ギャラリー内に立体的な風景を生成した。 8000個のボタンを天井から床までテグスにつなげて設置するボタンの雨《Buttons/ Rain》、花柄の服のみで立体裁断による花びらをつくり構成した花柄の花《Floral prints/ Flower》、1650枚の袖を滝のように天井から床まで埋め尽くした《Sleeves/ Waterfall》、ほどいたセーターをネットに編み込んで生み出した雲《Sweaters/ Clouds》、最後に残った全ての服のパーツを積層させてつくる服の地層《Clothes/ Strata》。興味深いのは、ここでも西尾は市民スタッフと「ボタンの雨」などのことばを共有するのみで、細部はある程度それぞれのスタッフに委ねることだ。完璧な精度による工芸作品ではなく、様々な偶然を許容する仕組みとしてのプロジェクト。

これらのインスタレーションについて西尾は、「どんな花柄があったのか、どんな袖があったのかなどを収集分類して陳列するひとつの手法としてのインスタレーション[iv]」という。また、これらはこれまでの西尾の活動の集大成とも言えるように、過去のプロジェクトのうえに成立している。《self select》があったうえでの《1000 coordinates》、《overall》の経験があっての《Floral prints/ Flower》。これは過去の活動を別のかたちで編集し陳列公開する作業でもあるのだ。

川俣正は、「とりあえずそれなりの自由度もいつも持ちながら、しかし限りなく普通のこと(アートレス)をしていたいと思う。[v]」 という。西尾の活動は服を交換したり、パッチワークをしたり、あるいは着るものを選んだりと、極めて普通の行為だ。彼は人が当たり前に実践していることに少しだけ異なった価値を与える。服を着替えることをコミュニケーションとして読み替えたり、パッチワークを共同作業に変換したりと、いわゆる資本主義の経 済原理では対価が得られないと思われる行為に価値を見出す。西尾は日々の生活行為を制作活動と同化させ、服を選んだり着替えたりするその日常の営為をその まま生産活動に転化させてしまうのだ。これらの行為の総体をもって新しい時代のファッションデザイン(つまりモード)として、マイナーな個人の趣味ではなく、社会における芸術生産による生活システムを成立させようとしているのだ。

日々を生きるというのはどういうことだろうか。西尾は生涯をかけて執着できる「衣服」を、単なるファッション(=流行)として消費するのではなく、「服」が備えるアイデンティティの表象機能や身体の保護機能を、ほんの少し解体または強調することで、新たな価値を引き出し、独自の経済圏を築いていこうとしている。西尾は今後ファッションデザインをしたいという。単に 服をつくるだけではなく、西尾工作所という名称が示すとおり、アートプロジェクトやワークショップ、あるいは展覧会など、装いに関わる様々な芸術生産活動の総体をファッションデザインと定義し、独自の創造的な生活環境を構築しようと試みているのだ。資本主義経済による一様な価値観に疑問を投げかけ、独自の 職能と地域経済のあり方を模索する西尾の試みは、これからの社会を生き抜く多様な選択肢の新たな一端を提示してくれるかもしれない。

[i] 藤浩志ウェブサイト「かえっこについて」参照 http://geco.jp/kaekko/

[ii] 明後日朝顔プロジェクトウェブサイト参照 http://www.asatte.jp/asatteasagaoproject/

[iii] 藤浩志ウェブサイト「藤浩志経歴・紹介文」参照 http://www.geco.jp/biograf/fujiBio.htm

[iv] AC2 13号 西尾美也インタビュー参照

[v] 川俣正、『アートレス―マイノリティとしての現代美術』、フィルムアート社、2001年(p.231)

 

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《Buttons / Rain》

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《1000 Coordinates》全景

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《1000 Coordinates》部分

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《Sleeves / Waterfall》

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《Sweaters / Clouds》

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《Sweaters / Clouds》

nishio-17b

《Clothes / Strata》

nishio-18b

《Clothes / Strata》