吃驚 BIKKURI

2010年10月23日(土)~11月21日(日)

アンジー・アトマジャヤ

Angie ATMADJAJA

《424.42m3 56.7Hz TILT》 撮影:山本糾

身体全体で知覚する音響彫刻

服部 浩之

“音を純粋に身体全体で体感できる作品をつくりたい”という独自の音楽的思考が、アンジー・アトマジャヤの創作活動の基底にはある。

アトマジャヤは幼少よりピアニストになるべく音楽教育を受け、その後専攻を作曲に転向し器楽曲や電子音響による作曲を学んだ。さらに音響空間や音響現象に興味をもち、ヨーク大学にて科学技術と芸術を結節するサウンドアートを学んだ。それと並行してサウンドエンジニア/作曲家としてダンスや舞台の仕事も経験する。このダンサーや振付家との恊働により、彼らが耳だけでなく身体全体で音を知覚するということを知り、より身体的・総合的経験としての音響空間への興味を拡大していった。このように彼女のサウンドアーティストとしてのキャリアはスタンダードな音楽教育を基礎に、他ジャンルとの恊働などを経て、アート&テクノロジーを基調とする体感的で相互作用のある音空間をつくるという現在の表現に至っているのだ。

今回アトマジャヤは、作品を発表するギャラリーBの空間の特性を周到に把握するところから制作にとりかかった。空間を極めて客観的に観察し、音響という地平からどんな応答ができるか、論理的に場との対話を重ね音響空間をつくり出していくのだ。ACACの設計者である安藤忠雄の建築に対する考え方やこれまでの建築作品を調査し、「見えない建築」という安藤によるACACのコンセプトを熟慮し理解したうえで、それに対する返歌の如くサウンドインスタレーションを実践した。

アトマジャヤがつくりだした作品は、まさしく「見えない作品」なのだ。ギャラリーBには一見するだけではほとんど視覚的に明確なオブジェはなにも見出せず、目に痛いくらい真っ白な空間だけが広がり、身体に直接響く重低音の単音が充満しているのを感じるのみだ。(fig.1) 目に見えるものといえば、通常のコンクリートの床の上に敷かれた真っ白な床面、池に面するガラス面左手の壁手前に設置された一台のスピーカー、壁面の目線の高さにうっすらと描かれた1本のライン、そして風除室のアルコーブに設置された2点の模型くらいだ。(fig.2,3,4) ぱっとみるとそれだけなのだが、しかしながらゆっくりと噛み締めるようにこの空間に没入していくと、驚くほど様々な要素を徐々に知覚していくことができる。

室内で静止していたときには一定の重低音が流れていると感じたのだが、白い床の上を歩き始めると、それに合わせて音の大きさや音色が変化していくのが感じられる。例えば入口から見て室内右手奥のちいさな開口部のあたりにいくと非常に大きな低音が耳だけでなく身体中に響いてくるのだが、少し手前まで移動するとその音は途端に消失して静寂がやってくる。またそこから水のテラスに面するガラスの前を反対側の壁面に向かって移動していくと、音が大きくなったり小さくなったりどんどん変化していく。さらに壁面沿いを少し歩いて部屋の中央に向かっていくと、あるポイントにたどり着いた瞬間に一瞬で全ての音が途絶えたりする。移動により発見できるのは、自身がどこかに静止しているとある一定の音が聞こえるだけ(あるいは何も聞こえない場合もある)なのだが、ひとたび移動するとそれに合わせて音はどんどん変化していくということだ。また、音の高低や大小の変化に合わせるように、床の地形が微妙に変化していくことも徐々に知覚される。音が大きなポイントでは床面が少しだけ高くなるように、そして音の小さくなるポイントは床面が低くなるように、床面はなだらかな凹凸をもっている。壁面にかすかに描かれた1本のラインは、基本的にはほとんど目に見えないが、壁に近づいていくとほのかにラインが現れ、移動すると床の微妙な高低によりこのラインも少しずつ上下に振れて見えたり、また少し離れると消失していったりと、音の変化にシンクロするように視覚的にもその差異をあわく描出している。全てがささやかな変化なのだが、この静寂のなかに意識を埋没すると途端に様々な現象の連鎖が知覚されるのだ。

つまり、アトマジャヤは身体全身と五感で知覚される“音の地形”をこの空間のもつ特性を増幅するようにつくり出したのだ。彼女はまず室内全体に90㎝のグリッドを設定し、104の交点を抽出した。そして様々な周波数の正弦波を流し、全交点の音量や音の振幅をオーディオメーター(聴力計)で計測し、この空間に対してもっとも興味深い変化に富んだ音の地形をつくり出す56.7Hzという周波数を各点の音量から導き出した。音は床、壁、天井で反射し、空気を振動させることにより人間の鼓膜に伝わり認識される。表面が固い素材ほど音をよく反射し、柔らかい素材ほど音を吸収しやすいという特徴がある。つまり空間の大きさ、形態、表面の素材によって音の反射は全く異なり、音量や振幅も計測点によって異なってくる。アトマジャヤはギャラリーBがどのような音響特性を持っているのかを計測し、各ポイントでの音量を視覚化するように音の大小を床の地形にも変換した。そして56.7Hzの正弦波を音源となるスピーカーから出力する。≪442.42? 56.7Hz TILT≫というこの作品のタイトルは、この空間の特性が作品を規定していったということを明快に示している。つまり彼女は総容積442.42?のギャラリーBの空間に56.7Hzの周波数の正弦波を挿入することで、様々な傾斜(tilt)をもつ音の地形をつくりだしたのだ。ひとつの波長の正弦波のみが音源となるスピーカーから出力され、同じ方向の波形がぶつかるポイントでは音は強めあい、逆の波形がぶつかるポイントでは音は弱めあう。室内を反響する正弦波が、ある場所では強め合い音量を倍増し、ある場所では弱め合い音量を減縮するという性質によって音の地形をつくり出したのだ。

以上にようにアトマジャヤの作品は極めてサイトスペシフィックな音響彫刻である。彼女は所与の空間を観察・解釈し、その空間が潜在的に持っている音響特性を引き出すかたちで、鑑賞者の身体と知覚に直接訴えかける音響空間を造形しているのだ。これは場との対話であり、音楽という観点から空間を構築するものである。

また、正しく音楽家らしい側面が彼女の観客との関係の築き方によく見てとれた。展覧会期中彼女は時間があると水のテラスを挟んだ対岸のラウンジからギャラリーBを観察し、作品を体験する観客の反応に注視していた。作品に戸惑う観客がいると声を掛け作品の意図を伝えたり、あるときは鑑賞ツアーのごとく一緒に作品を体験し、またときには観客の意見を聞き、その場で複数の正弦波を出力し全く異なる音響空間を体験してもらったりと、相手に応じて様々な手法で多様な作品体験を提供していた。これはやはり観客ありきのピアニストとしての演奏経験や、ダンスの音楽をつくるなど、よりライブに近い状況で常に観客の反応を意識しながら、その場を成立させるという対話的な音楽活動の経験があるからだろう。やはり彼女は正統な音楽家的DNAに突き動かされながらサウンドインスタレーションを実践していると言えるのではなかろうか。

美術作品では、その文脈やどのような背景でその作品が生まれたのかを知ることによってはじめて理解できるようなものも多々あるが、彼女の作品は前提となる知識や文脈など皆無でも、もっとも原初的な身体経験として純粋に作品を楽しむことができる。もちろんサウンドアートに関する知識を持ったうえで見えてくることが多々あることも事実である。ただどんな人でもその人なりの視点でそれぞれに堪能できる許容力を持った作品であると言ってよいだろう。また所与の状況をよく捉え、音の観点から空間を解析し、それに対して新たな音響構造を対話的に構築していくあたりは建築的でさえある。

いずれにしても、コンテクスト重視の美術作品が多いなかで、静かに集中し全身の感覚を研ぎすまし知覚することにより、身体的経験として作品に触れ、それによって様々に思考を巡らせることは、もういちど現在のアートについて根源的に思索するよい体験となるのではなかろうか。そこでしかできない体験というのは大切にしたいものだ、と再確認させてくれる作品であった。

Sアンジー04 (541x722)

撮影:山本糾

Sアンジー06 (682x511)

fig.1 サウンド・インスタレーション全景

fig.02_maquet1

fig.2 音量をフロアレベルに変換したコンセプト模型

fig.03_maquet2

fig.3 フロアプランの模型

fig.04_line

fig.4 壁面に描かれた一本のライン